最高裁判所第一小法廷 昭和34年(オ)471号 判決 1961年7月20日
判 決
守口市南寺方北通一丁目一三番地
上告人
前場久
右訴訟代理人弁護士
高芝利徳
鳥取県日野郡溝口町大字溝口四四三番地
被上告人
東洋木材工業株式会社
右代表者代表取締役
篠原潔
右訴訟代理人弁護士
馬渕分也
右当事者間の約束手形金請求事件について、大阪高等裁判所が昭和三四年二月二四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人弁護士高芝利徳の上告理由について。
しかし、手形は、いわゆる有価証券であつて、これが権利の行使については、手形の占有を伴うことを要し、また、手形義務者が権利者の催告に応じこれが支払をなすときは、手形に受取を証する記載をなしてこれを交付することを請求しうるものであるから、民法一五三条の催告をなす場合にも手形の呈示を必要とするものと解するを相当とする(大審院大正一三年(オ)第四一号、同一三年三月一七日判決、民集三巻一七三頁参照)。されば原判決は正当であつて、所論はその理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官高木常七の反対意見あるほか全員一致の意見によるものである。
裁判官高木常七の反対意見は次のとおりである。
手形は流通証券であつて、手形債務者は現在の手形債務者が誰であるかを知り得ないのを常とするから、手形債権者は、手形債務者に遅滞の責を負わしめんがためには、手形を呈示して自己が手形債権者であることを明らかにすることを要求されるが、手形債務者の責任に影響がなく、単に手形債権の時効中断の効力を生ぜしめるだけの催告には、必ずしも手形の呈示を必要としないと解するのが相当である。
けだし、時効(消滅時効)の制度は、もともと権利の上に眠る者を保護しないとする制度に外ならないのであるから、時効の中断は、権利の上に眠つていないとする行為、換言すれば、権利行使の意思が客観的に明確であればそれで足れりとすべきだからである。
これを商法ないし手形法についてみても、手形債務者を遅滞に付し、もしくは償還請求の権利を発生させるがためには手形の呈示を要する旨の規定があるが、時効中断のための催告には、なんら特別の規定を存しない。されば、時効の中断に関しては、専ら民法の規定に則つてこれを考えるべきであり、そして民法の規定によれば、結局右の如くに解するよりほかないのである。
この場合、手形債務者は、催告をした者が果して真の手形債務者であるかどうか知り得ないわけではあるが、それは手形債務者の遅滞の責任にはなんらの関係もないことであるし、また、催告による時効の中断は、六か月以内に裁判上の請求等民法一五三条所定の手続をとらなければ効力を生じないのであつて、催告は、いわばそれらの手続をとるまでの一時的権利保全の手段でしかないのであるから、手形を呈示せず、従つて手形債務者をして直ちに履行をなさしめる状態に置かなくても、その行為が権利の上に眠つていないことを客観的に明らかにするものであるかぎり、それに時効中断の効力を付与しても、手形債務者には格別の不利はない筈である。
これを一般取引界の実情に徴しても、時効中断のための催告は、多く内容証明郵便をもつて行われるのを常とするから、これに対して手形の呈示を必須の要件として強要するが如きは、取引の実情にそぐわないばかりでなく、むしろ難きを強うるものといわざるを得ない。
況んや、手形の呈示のない催告であつても、債務者がこれに応じて現実に債務の履行をなすことも期待し得る以上(手形は現実に支払いがあつた際に引換えればよい)、呈示のない催告を原判決の如くかたくなに解しなくてもよいと考えられる。
以上の見解は、もとより大審院従来の判例傾向と相容れないものではあるが、右の大審院判例は、むしろこの際変更さるべきではなかろうかと思料される。
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 斎 藤 悠 輔
裁判官 入 江 俊 郎
裁判官 下飯坂潤夫
裁判官 高 木 常 七
昭和三四年(オ)第四七一号
上告人 前 場 久
被上告人 東洋木材工業株式会社
上告代理人高芝利徳の上告理由
一、原判決の基礎となつた事実は上告人(控訴人、原告)が本件係争約束手形につき振出人たる被上告人(被控訴人被告)に内容証明郵便(手形の呈示は無い)でその支払を催告し、右は同手形債権の消滅時効期間の最終日である昭和三十年十二月三十日被上告人に到達し、その後六ケ月以内である同三十一年五月三十一日上告人は本訴を提起したというのである。原判決は右事実に対し「民法第一五三条所定の催告についてこれを手形上の請求と異るものとし手形を呈示する必要がないと解すべき合理的理由がないから手形を呈示しないでした催告は、その後一定期間内に裁判上の請求等の手段がとられても時効中断の効力がないものと解するのが相当である」旨判示し被上告人の時効の抗弁を容れて上告人の請求を棄却した。しかしながら民法第一五三条にいう催告とは以下詳述するところにより明らかな如く手形上の権利についても「債権者がその権利の上に眠つていなかつたことを明確ならしめ真実の権利状態と異つた事実状態の永続を破壊する事実であれば充分であつて手形の呈示の有無にかかわらないと解すべきであるから、原判決はこの点に関する法律の解釈を誤つた違法があり右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明であるから破棄あるべきである。
二、理由の第一は、時効中断のための催告と手形上の請求は本来別個の制度であつて、これを同一視すべき何等の理由もないことである、手形上の請求につき手形の呈示が要求されるのは手形がその権利を化体して輾転流通し、債務者において現所持人が何人であるかを知る由もない以上当然のことであり、これなくしては債務者は遅滞に附せられることはないのである。これに反し時効の中断は時効の基礎たる永続した事実状態の破壊をその本質とするものであるから本来遅滞の効果の有無とは無縁のものであり右の如き事実状態の破壊ありと認められるか否かにより専ら決せられるべき事項である。従つて民法第一五三条所定の催告は手形呈示の有無にかかわらず債権者(手形の所持人)がその権利の上に眠つていなかつたこと、を客観的に認め得る行為であれば足ると解すべきであり、かく緩かに解釈しても時効は援用という債務者の意思にその確定的な法律効果の発生をかからしめている程度の制度で且つ第三項記載の如く予備的時効中断事由であるから別段債務者に不利益を及ぼすものではない。
三、理由の第二は催告が予備的措置であつてそれ自体としては時効の完成を六ケ月間延ばすだけで独立の中断事由ではないということである。即ちその趣旨は時効期間満了の間際に債権者に六ケ月の余裕を与えようとするものであるから本来簡易且迅速な方法たることを必要とするものである、従つて債務者を遅滞に附する請求と異り特段の方法と手順を必要とするものではなく、債権者の権利行使の意思を認め得るものであれば足るというべきである。
四、理由の第三は取引実務の不便である、手形が隔地者間の決済に最も大きな効果を有するものであり、その媒介は金融機関の専ら行うところであるけれども一旦支払の拒絶を受けた手形、小切手等は金融機関において再度これが取立てのための委託を受けないのが目下の慣習である、従つて時効中断の催告にも手形の呈示を要するとすれば債権者は自ら現実にこれを行うことを必要としその間多くの危険にさらされ又多大の不便と費用を生ずるおそれもあり得べく遂には催告を簡便な時効中断事由とした法の趣旨は全く無視せられる結果となるのである。
五、以上のとおりであるから時効中断のための催告には手形の呈示は必要でなく、一般の場合と同様権利者が権利の上に眠つていないことを認めるに足る事実であれば足ると、解すべきである。右の見解は原判決も指摘する如く、学説中これを支持する者多く田中耕太郎(判例民事法昭和五年四十六事件評釈、手形法小切手法概論一九一頁)石井照久(判例民事法昭和七年二十一事件評釈)小町谷操三(同昭和八年九十三事件評釈)我妻栄(民法講義1三五六頁)伊沢孝平(註解手形法小切手法二〇〇頁)升本喜兵衛(有価証券法二一八頁)田中誠二、柚木馨の諸氏により夙に表明せられるところであつて近時はむしろ通説的見解というべく、下級審の判決中にも札幌高裁昭和三十一年七月九日判決(高等裁判所民事判例集九巻六号四一七頁)東京地裁昭和三十二年二月二十三日判決(判例時報一一〇号一九頁)等これに従うものを見るに到つたのである。原判決は斯る学説並びに実務趨勢を顧ることなく、漫然大審院以来の判例の見解に追随したものであるが裁判上の請求については大審院の判例も既に手形の呈示を必要としないとしているのであるから前述の時効中断の本質並びに催告が副次的中断事由である点を考え併せるならこれを区別する何等の理由もないのであり、むしろ催告についてこそ手形の呈示を要しないとする必要と理由があるのである。 以上